石の島、小豆島の“八人石”

小豆島といえば、オリーブ、お醤油、そうめん、佃煮が有名ですが、それ以外にも良質な石が切り出されることでも知られています。

小豆島の石が使われた有名な建造物に大坂城があります。豊臣秀吉の築いた大坂城は大阪夏の陣で徳川軍の攻撃により大きく破壊されましたが、その後、徳川二代将軍、徳川秀忠の命により、徳川家の権威を示すために豊臣家の築いた大坂城をはるかに上回る大きな城へと建て直されました。新しく建て直された大坂城の石垣は総延長12km、高さ32m、使われた石材は100万個を超えるともいわれ、その際に、小豆島の良質な石も数多く切り出されました。

この際、徳川の命を受けた大名たちは、藩の威信をかけ、巨大な石を競い合って大坂の地へ持ち込んだため、大坂城は世界的にも有数の「巨石」建造物となっているのだそうです。

小豆島から大坂城に持ち込まれ、石垣に使われた「巨石」の中でも、もっとも巨大とされる「肥後石」は、なんと高さ5.5m、幅14m、推定の重さ120トン、石垣の表に見えている表面積で54平方m(畳にすると約33畳)と、石垣というよりも、一枚の石の壁と言うほうが、正しいように思えるほどの「巨石」なんです!

残念ながらこの「肥後石」も大坂城の石垣全体の中では2番目の大きさなのですが、大坂城の石垣の大きな石の上位10位のうち半数をしめる5つの巨石が小豆島より持ち込まれた石なんです!

その大坂城の石垣の石切丁場の跡が、小豆島には今なお残っています。今日はそのひとつ、「八人石丁場」をご紹介します!

ここは大坂城の石を切り出す際に、8人の石工職人が一度に犠牲になったという伝説の残る巨大な残石がある場所です。

↓ 中に入っていくと、さっそく巨大な石が出迎えてくれます!

↓ そしてこれが「八人石」です。真ん中に見えるのは供養のために建てられた五輪塔で、その横に立っているのが私の娘。娘と比較しても、とにかく大きいです。写真左手の巨石の上部にはノミの跡が刻まれていて、うっすら緑色に苔のはえている面が割られてできたものだということがわかります。当時の状況は良くわかりませんが、右側と左側の石はもともとひとつの巨石で、それが石工職人によりパカッと割られて、右手に崩れ落ちたのではないかと思われます。

大坂城の「肥後石」は高さ5.5m、幅14mですので、写真のような巨大な石を大坂城まで運んだのだと思います。重機もない時代に、どうやってこんな巨石を運んだのか、ただただ驚くばかりです…。

小豆島せとうち感謝館 西田征弘