野生動物との共存

小豆島に移住して8年目となりましたが、小豆島の自然の豊かさには日々驚かされています。

その一方で最近、よく耳にするのが「害獣駆除」という言葉。

特に小豆島で増えているのが猪と鹿で、私も夜の帰宅途中、農免道路でよく遭遇するんですよね。

先日このブログでもご紹介した野鳥の「カワウ」も、実は瀬戸内海沿岸で増えていて、小魚の被害が拡大し、害鳥として駆除対象となっているのだそうです。

皆さんは“しし垣”というものをご存知でしょうか?

↑(小豆島、吉田のしし垣)

しし垣とは漢字で「猪鹿垣」とも書き、見た漢字そのままに猪や鹿の害獣被害から農作物を守るためにつくられた石垣や土壁のことで、なんと小豆島のしし垣は日本有数の密度を誇っているのだそうです。それもそのはず、江戸時代には、島全体をしし垣で一周ぐるっと囲んでしまったというのだから驚きです!その距離はなんと120キロメートルにもおよびます!これはまさに島の万里の長城ですよね。

今、島で害獣被害が発生する中で「もう一度しし垣で島を一周かこんじゃおう!」なんてアイデアを出しても「できるはずがない」とすぐに却下されると思います…。そう考えると、しし垣をつくり上げた当時の島の人たちの情熱と行動力には本当に驚かされます。

↑(小豆島、長崎のしし垣)

その一方、瀬戸内海で小豆島に次いで3番目に大きな島となる屋代島(周防大島)では、小豆島にしし垣が築かれたのと同じ江戸時代に、全島で大規模なしし狩りを行い、島に生息する猪などの害獣をほとんど駆除したのだそうです。

島の大きさでいうと小豆島が屋代島の約1.2倍とわずかに大きいものの、この程度の大きさの差であれば、小豆島でも全島でしし狩りを行うことはできたはず…。

では当時の小豆島の人々は、なぜ「しし狩り」ではなく「しし垣で全島を囲む」という非常に困難とも思える手段をわざわざ選んだのでしょうか…?

小豆島の稲作が盛んな肥土山地区、中山地区には300年前より伝わる「虫送り」という伝統行事があります。火手(ほて)と呼ばれる松明を持って、棚田のあぜ道を海まで練り歩き、稲につく害虫を海まで追い払うのです。

↑(虫送り)

小豆島の「しし垣」と「虫送り」に共通することは害獣や害虫を「駆除する」ことなく、農作物を守ろうとしているということ。

小豆島には八十八カ所霊場をまわる島遍路があります。諸説ありますが、信仰心が強かった昔の小豆島の人々は小さな虫であっても「尊い命」として大切に思い、慈しむこころを持っていたからこそ「駆除する」という選択肢ではなく「島の中で人と野生動物が共存する」という道を選び、島一周をしし垣で囲むという壮大なプロジェクトを成し遂げたのではないかと私には思えます。

害獣として駆除される生きものが増えている今、昔の小豆島の人々の持っていたこの崇高な精神には、現代に生きる私たちが見習うべき点が数多くあるように感じます。

小豆島せとうち感謝館 西田征弘