小豆島の万里の長城…その2
今日は小豆島の万里の長城“しし垣”の第2弾、小豆島の“吉田のしし垣”をご紹介します。
こちらのしし垣は先日ご紹介した長崎のしし垣とはうってかわり、石を積み上げた一般的な様式となっています。先日ご紹介した長崎のしし垣とはまったく別物と言っていいほど違いに驚いてしまいます。
↑ ここの部分の高さは私の身長よりも高く、2メートル近くもあるんです!この高さなら間違いなく猪も鹿も侵入できませんよね!
陽当たりが良いせいか石垣にはツルが絡まり、夏場にはたくさんの植物が生い茂っていることがうかがえます。上の3枚の写真は、しし垣を境界線に人が生活する「人間界」から見たものです。
一方、ここから下の3枚の写真が「動物界」から見たしし垣です。
人間界と動物界でしし垣の石の表情が変わったのがわかりますか?陽があまり当たらないためか、全体的に苔が生したようなうす暗い色合いで、石の積み方も人間界側よりも大きい石が丁寧に積まれている印象です。
しし垣ができた後から生えてきたと思われる木が、しし垣の壁面にそって上に伸びています。
動物が登りにくいようにと考えられているのか、若干「動物界」側に傾斜をつけられている場所もあります。よくよく観察すればするほど、ただ「石を積んだ」のではないことが良くわかります。当時の島の人たちはどんなことを考えながら、どんな想いで全島一周120キロものしし垣を築き上げたのでしょうか…。
資料には「1790年、当時の草壁村の庄屋、村上彦三郎の提案により完成させた」と、とても簡単に記されていますが、この吉田のしし垣と長崎のしし垣で大きく様式が違うことを考えても、生活する地区はもちろん、考え方の違う数多くの島民がこのしし垣づくりに携わり、完成までにはとても大変な苦労があったはず…。島民をひとつにまとめ上げ、この壮大なプロジェクトを成し遂げた村上彦三郎とは、いったいどんな人物だったのか…?とても興味深いものがあります。
小豆島せとうち感謝館 西田征弘