島鱧ブランドができるまで

こんにちは、九冨です。
前回のブログでは、私の地元の漁業協同組合がブランド化している「島鱧」についてご紹介しました。
今回はその島鱧ブランドができるまでの経緯をご紹介していきたいと思います。

もともと香川県、特に小豆島において、ハモは取扱量が非常に少ない魚でした。
鋭い歯を持っている凶暴な魚のため素手では触ることができず、また他の魚を食べてしまうため生態系を崩してしまうなどのこともあって、漁師さんにとっては害魚(弊害のある魚)として認識されていたのです。

昨今の漁村では漁師さんの後継者不足に加え、漁獲量の減少や魚の単価の低迷など、多くの問題を抱えています。
それは私の地元にある四海漁業協同組合も例外ではありません。10年後には漁業者の数も70%以上減少する見込みがでているほどなのです。
進む高齢化と後継者不足などを、大いに思い悩む漁師さん達。何か打開策がないものかと、模索の日々が続いたそうです。

ある時誰かが言いました。「小豆島のハモ、ブランド化出来るんちゃう?」
京都や大阪などの近郊の都市部では、夏の風物詩になるほどハモが有名であり、なくてはならない食材で、需要も高くハモの値段も良い。
そこで、島で獲れるハモの中でも独自の厳しい選別にて選んだ魚体のみをブランド化し、販路を拡大して漁村の活性化を目指そうとしたのです。

先行きが見えない不安が立ち込める中で、一筋の光明を射しこんだのが、四海漁業協同組合青年部に所属する漁師さん達。

仲間で一致団結し、「小豆島のハモ」への挑戦が始まったのは5年ほど前のことです。

ハモに傷がつかないような漁法を考案し、漁獲時と出荷時にも選別作業をおこなう。さらに、徹底した水質と温度管理をした専用の水槽で一日畜養する。
こういったどこよりも手間暇をかけることにより、他の産地との差別化を図りました。

この試みは、これまで害魚として扱われていた魚が有益な魚として周知されると同時に、地域活性化の原動力となる産業となり、後に新しい雇用も生み出しました。
こういった経緯で小豆島の新しい地魚ブランド「小豆島 島鱧」が誕生したのです。

▲四海漁業協同組合青年部に所属する漁師さん