小豆島は日本で十番目に生まれた島

こんにちは、九冨です。

ここ数日、小豆島は夏真っ盛り。

毎日晴天の空模様と、30度を超える蒸し暑さが続いています。

 

今回は「小豆島講座」の本の中から「日本で十番目に生まれた島」についてのお話を抜粋してご紹介していきたいと思います。

 

小豆島は古事記や日本書紀にも登場する、由緒正しき島でもあるんです。

イザナギとイザナミが国づくりを行った順序は、最初に淡路島、次に四国、そして隱岐島などと続きますが、その十番目が小豆島なのです。

 

小豆島は地理的、軍略的な理由から、歴史の大半が幕府直轄の天領地でした。

そして朝鮮や中国との貿易頃における政治文化の大動脈だった瀬戸内海を通り、京都から公家や役人たちを博多へと運ぶための重要な中継地でもありました。

 

江戸時代以降は国替えのための兵員や物資の輸送、石材などの建設資材の輸送等を請けていました。

そのため、各時代の多くの政権から加子の浦という特別な待遇を受けていました。

 

小豆島の各地から選ばれた屈強な若者達は、指示に応じて公家や政府の役人を乗せる御用船を操り、大阪から博多を往来することで、船乗りとしての実体験を積むことができたのです。

京都や堺、博多など、当時の最新の国際文化に直接触れることができ、何日間かを過ごすわけですから、彼らにとっては憧れの仕事だったことでしょう。

 

小豆島に今も受け継がれている文化のなかには、言葉や踊りなど、この当時の京都の影響を受けている物事が数多く見受けられます。

例えば、農村歌舞伎などもそうですし、小豆島独自の訛には、京都の訛に由来しているものも数多くあったりします。

当時の小豆島は、都会の風情を少しだけ感じることができる場所でもあったのかもしれません。