小豆島の文化を継承する 農村歌舞伎①

こんにちは、九冨です。

小豆島は海に囲まれた離島なのですが、海側と山側にある地域では普段喋っている言葉や、伝統文化の継承に少しだけ違いが見られます。
山村地域では今もなお農業が盛んで、切り立つ山の間に田畑が広がる風景はとてものどかで美しく、見ていて飽きません。そんな山村地域にある2つの地区では、今もなお地域の人たちが農村歌舞伎を継承しています。
これから数回に分けて、小豆島の農村歌舞伎について詳しくご紹介していきたいと思います。

↑肥土山地区の農村歌舞伎の様子です

小豆島の農村歌舞伎は今から約300年ほど前に今の大阪である上方から伝わったとされています。
当時は島内にも数多くあったとされる農村歌舞伎も、今もなお残っているのは肥土山地区と中山地区の2つのみ。
肥土山地区では毎年5月3日に、中山地区では毎年10月上旬に奉納歌舞伎を行っています。

肥土山農村歌舞伎は1686年(貞享3年)に蛙子池という溜池の完成を祝い、仮小屋を建てて芝居をしたのが始まりだと言われています。
肥土山歌舞伎の舞台は、離宮八幡神社の境内にあり、国の重要有形民俗文化財に指定されている建物には、人の力で動かす廻り舞台やセリが設けられています。
保存会の方々を中心として、役者、浄瑠璃、お化粧、お囃子、衣装、舞台など歌舞伎に関するあらゆることを地域の人たちが担っています。

歌舞伎の演目は毎年4幕行なわれ、毎年違う演目が演じられます。
代々受け継がれてきた台本は300冊ほど保存されており、その中の20~30の演目の中から選んで演じられているそうです。
2幕目は小学生の子供たちが出演する子供歌舞伎を行います。毎回1番の盛り上がりを見せるほど人気の演目です。
舞台横には衣装蔵が設けられており、台本のほかに、長年使われてきた衣装やカツラ、小道具なども多数保存されています。

長年農村歌舞伎という伝統を守り、台本や衣装、調子や振り付けなどを受け継いできた肥土山地区の皆さん。
歌舞伎の演目を見たりお話を聞いたりする機会があるたびに、先人たちが守ってきたものを自分たちが次の世代に受け継いでいく、バトンを渡していくという強い思いが伝わってくるような気がしたほど。
文化を受け継いでいくと言う事は、それを担う人たちの熱い思いも必要になってくるのでしょうね。(続く)